嘆き

おこられたらきえます

自分が本当に分からなくなる前に自己紹介

おなまえ:けーとこ

ねんれい:じじい

しゅみ:ない

とくぎ:ない

 

おわり

 

どうしてブログを書こうと思ったのか?

ふと、自分はもう5、6年近く自分の考えをちゃんと話していないなぁ、と最近気づいた。

 

ここでいう「考え」というのは、例えば職場での業務改善案とか、今日何が食べたいとかそういう話ではなく、自分の「本音」の部分である。「自分は何になりたい」、だとか、「自分は何のどこが好きだ、嫌いだ」だとか、そういった話である。

 

そもそも賢くも面白くもない人間がそんなことをして何になる?結局空気だけ悪くして、それで終わりではないか?好きであろうが嫌いであろうが、それは俗に言う誹謗中傷と何が違う?

このどこかで見た、誰に問われたわけでもない問いかけに対する回答は終ぞ見付けられず、意図的に避けてきたのである。

 

 

して、そんな状態が続いた結果、最近あまりにも言葉が出ないことに気が付いた。

 

正直元からといえば元からではあるのだが、以前にも増して適切な言葉が出てこない。

当然である。自分の意見なぞ、学びなぞ価値のないものであるとして、何も伝えてこなかったからである。*1 つまるところ、「伝える」ということに対する経験値があまりにも足りていなかったのだ。

その結果が冒頭の自己紹介である。自分の好きとか、意見とか、そういったものもなく、ただ二酸化炭素とウンコを吐き出し続けることしかできない無の完成である。

 

それだけであればまだよいのだが、これが最近日常生活においてかなり深刻な影響を及ぼしてきたと身をもって感じるようになった。誰と話すにも、以前より言葉に詰まることが増え、それに伴って、キモオタク特有の深夜の大反省会の密度も濃くなっていった。

 

そういえば、以前に上司から「君は考えるのが苦手なのだろう」という言葉をかけられたことがある。いやいや自分だってちゃんと考えているのだと当時は思ったが、こうして文章にまとめてみると、なるほどこういうことかと非常に合点がいく。

 

まずい。

 

非常にまずい。

 

そんなわけで、ちょっとものを考えがてら、少しづつリハビリをしていきたいなぁ、と思いながらこの文章を書いている次第である。

とはいえ、そんな何もない、何もできないカス人間が自分の意見なぞ発信するな、多少文章を書いたところで何が変わるものか、という言葉に対する回答は結局見つかってはいないので、どうしたものかなぁ。

 

どうかお手柔らかにお願いします。

*1:価値がないのは、まあその通りではあるのだが